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“文系出身プログラマー”が独立するまで

 新感覚の○×コミュニティ「コトノハ」などを手がける大日田貴司さん。「文系だから、プログラマーなんて無理」と思っていた学生時代を経て、プログラミング未経験可の会社に就職。業務のかたわら独自のサービスを作り、スカウトされて転職、そして独立――。一見順調に見えるキャリアだが、その裏には焦りや苦労もあった。

 例えば僕が100時間かけてサービスを作るとしますよね。そのサービスで2万人の人を1時間喜ばせることができたとします。そうすると僕の100時間が2万時間もの幸せな時間になって返ってくることになります。それってすごいな、と思ったのです」

 新感覚の○×コミュニティ「コトノハ」などを手がける大日田貴司(おおひだ・たかし)さんがネットでサービスを作り続ける理由である。1人で作ったものがインターネットの力を借りれば何倍、何十倍、何万倍にもなる。それが面白いな、と思っている。

「文系だから、絶対プログラマーにはなれないな」と思っていました
 数々のサービスをリリースする大日田さんは、最初からプログラミングができたわけではない。「プログラマーって、数学ができないとダメなイメージがありますよね。文系だった僕は、絶対プログラマーにはなれないな、と思っていました」

 しかし転機は訪れる。もともと新しもの好きだった大日田さんは、大学時代にインターネットに出会う。「父が仕事で使っていたPC-9801をお下がりとしてもらい、当時流行っていたネットをやり始めました。いろいろ見ているうちに“ホームページ”というものが作れるらしい、ということに気づき、本を1冊買って自分でも作ってみたのです」

 それがコンピュータで何かを作った初めての経験だった。そうした経験を積むうちにプログラマーに憧れを感じはじめた。文系だから無理かな、と思いつつも小さなソフトハウスに就職した。プログラミングの経験がなくてもOK、という条件が決め手だった。

 「新卒で採用されたのは僕ともう1人だけ、という小さな会社でした。そこでC言語を学び、自分でもネットで調べて、1人でフリーソフトを作れるまでになりました」

 作ったソフトはいわゆるコマンドランチャーで、これをソフトウェアの配布・販売サイトのベクターに登録した。公開してみたら、思ったよりも反響があった。「便利に使っています」「これからもがんばってください」といった応援のメールが届いたのだ。

 とにかく自分で思ったとおりのものを作れた、という達成感があり、しかもそれを数千人に使ってもらえた。そう思うと開発にも力が入った。ちなみに、今でもこのソフトは愛用している。

 ソフトウェア開発の楽しさに目覚めた大日田さんは、仕事が終わっても趣味で開発をするようになる。しかしその頃から仕事が忙しくなり、しかも、好きなプログラミング以外の仕事が増えてきた。「これ以上この会社にいても、プログラミングはできそうにないな」。そう思い退職を決めた。「その後は友達の会社のWebサイトを作ったり、ちょっとした開発をしたりと小さな仕事をしていました」

 開発をしようと思い、仕事を辞めてみたが生活は苦しくなるばかり。「このままではいけない、そろそろ働かなくては」――真剣にそう思い始めた頃、目にとまった求人があった。その企業は「ベクター」。普段から見ていたし、自分の作品を登録しているWebサイトでもあった。その求人に応募し、無事就職する。
(大日田貴司さん)

ITmedia - 2007年2月20日